私は、植物病理学の研究室で博士号を取得し、現在は食品会社の研究職として野菜の病気に関わる仕事をしています。このコラムでは、植物病理学の研究を行う中で感じたおもしろさを、私なりの視点で3つお伝えしていきたいと思います。

1. 作物と微生物のかかわりのおもしろさ

    植物病理学では、穀類、野菜、樹木などあらゆる作物と、カビ(糸状菌)、細菌、ウイルスなどの微生物を対象にしています。これまでの研究によって作物と微生物の間には複雑な相互作用が存在することが明らかになってきています。私が学生時代に研究対象にしていたのは、ジャガイモ疫病菌*1といって、卵菌というグループに属する菌です。この菌は、ジャガイモやトマトなどに付着すると、内部で増殖し、作物を枯らしてしまうため病原菌として扱われます。一方、微生物の中には植物の役に立つものも存在しています。ある微生物が感染していることで、収量が増加したり、他の病原菌に対して作物が強くなったりする効果があります。皆さんには、是非、日本植物病理学会が出版した「植物たちの戦争」1)という本をご覧頂きたいです。植物と微生物の間の寄生や共生のメカニズムについてとても分かりやすくまとめられています。生き物の多種多様な戦略について書かれたこちらの本は何回も読み返すほど面白いです。

    私は顕微鏡で植物細胞や菌を観察するのが大好きです。例えば、糸状菌であるアルタナリア属菌の分生子*2はクロワッサンのような形をしていたり、うどんこ病菌は数珠が連なったような形をしていたりして見ていて楽しいです。また、ジャガイモ疫病菌が作る遊走子のう*3はレモン型でかわいらしい見た目をしています。そのような疫病菌の遊走子のうですが、植物への侵入時に重要な役割を担っています。色々なタンパク質を分泌しながら、遊走子のうから伸びた菌糸が植物細胞の間をくねくねと進んでいる様子は観察していて飽きることがありません。

    2. 研究者とのかかわりのおもしろさ

    研究の魅力のひとつは、まだ誰も知らない現象を初めて発見できるという点です。ある日、顕微鏡を覗いて、見たことがない現象が起こっていた時、驚きで胸の高鳴りが止まらなかったことを覚えています。ただ、そのような発見が出来るのは、チームのメンバーや国内外の研究者の方がこれまで積み重ねてきた研究のおかげです。また、学会で得られる最新の研究成果や研究者の方とのつながりが力になります。

    日本植物病理学会では多くの研究集会が開かれています。日本国内でも、地域によって栽培している作物が違うため、問題となっている病害が違います。そのため学会では、多様な作物や微生物を対象とした研究発表を聴くことが出来ます。菌ごとに特殊な研究手法があったり、違う研究対象でも同じアプローチが使える場合もあったりするのでとても興味深いです。植物病理学会に参加した際は、研究者の方から沢山のご意見をいただきました。研究者とのかかわりによって生まれた新しいアイデアによって研究が進み、一人では得られなかった成果を得られることがとてもおもしろいと思います。

    植物病理学会では、病害診断技術の教育に特化した「植物病害診断教育プログラム」が毎年開催されています。このプログラムは、全国各地で持ち回り開催され、私はこれまでに北海道で行われた第14回と横浜で行われた第18回に参加しました。5日間にわたる講義と実習では、センチュウやダニの形態観察による判別や、果樹やイモ類など自分が普段扱わない病害の診断を学びました。また、全国から集まった参加者と長い時間一緒に作業をしたり食事をしたりすることで、親交が深まりました。病原体の取り扱い方法を実践形式で学んだ経験が現在の業務に生かせています。

    3. 現場とのかかわりのおもしろさ

    圃場での作物の病害は、収穫量の減少を引き起こします。そのため、病気に強い品種を使ったり、農薬を使ったりして病害の発生を防いでいます。しかし、微生物の進化のスピードはすさまじく、年月をかけて病気に強い品種や新しい農薬を開発しても、それを回避できる病原体がたちまち出現してしまいます。さらに、圃場では、複数の病害が同時に発生している場合があり、病害を制御することを難しくしています。植物病理学の教科書2)によると、「植物の病気の原因を解明しその防除に繋げることがこの学問の目的であるため、まずは圃場の状態をよく理解することが求められている」とあります。私は現在、圃場で発生した病害の診断や病気に強い品種を作るための研究を行っています。圃場の作物の状況を理解し、抵抗性品種*4の開発に向けて研究に取り組むことは難易度が高いですが、自身の仕事が現場の問題解決に直接つながるためやりがいがあります。

    先日、病害診断の結果に対して生産者から感謝のことばをもらう機会がありました。私が農学に興味を持ったきっかけは、農家の祖父母の存在です。小さいころに経験した稲刈りや、採れたての野菜のおいしさは忘れられません。当時抱いていた、祖父母の助けになりたいという願いが、間接的ではありますが今の仕事で実現できていることがおもしろいと感じます。

    おわりに

    ここまでご覧いただきありがとうございました。

    最後に少しだけ趣味のお話をしたいと思います。私は道端に生えている野草が大好きです。きっかけは有川浩の植物図鑑3)という本です(たまたま主人公と名前が同じだった点も気に入っています)。普段歩いている道に、季節ごとにカラフルでとてもかわいい花が咲いている様子を見ると楽しく過ごせます。植物病理学を学んでからは、道端の野草にもいろいろな病斑が出ていることに気がつきました。それらを顕微鏡で見ると、まるくてキラキラした胞子が沢山ついていました。今では、小さな顕微鏡を自宅で購入し、ときどき野草観察とセットで野草についている微生物観察をするのが楽しみです。野草と微生物の相互作用について分かっていることは限られています。身の回りの生物に未知の世界があると思うと不思議な気持ちになると同時にとてもわくわくした気持ちになりませんか?

    このコラムを読んでくださったみなさんが、少しでも植物病理学の分野に興味を持っていただければ幸いです。

    参考書籍

    1)植物たちの戦争:病原体との5億年サバイバルレース 日本植物病理学会(編) 講談社
    2)植物病理学(第2版)眞山滋志・土佐幸雄(編)文永堂出版
    3)植物図鑑 有川浩 幻冬舎文庫

    用語説明

    *1ジャガイモ疫病菌
    ジャガイモに甚大な病害を引き起こす卵菌Phytophthora infestans(ジャガイモ疫病菌)は、19世紀半ばのアイルランドで壊滅的な大飢饉を引き起こした主要因として知られている。当時、ジャガイモはアイルランドの主食作物であり、本病原菌の猛威により収穫が連年著しく失われた結果、膨大な数の人々が餓死しただけでなく、多くの住民が北米大陸などへの大量移住を余儀なくされた。このジャガイモ疫病が、真菌ではなく卵菌に属する微生物によって引き起こされることは当時広く認識されておらず、病害の原因を巡って長らく議論が続いた。その後、アントン・ド・バリー(Anton de Bary)らによる体系的な研究によって、P. infestansが疫病の病原体であることが明確に示され、この発見は植物病理学の誕生と学問としての発展に大きく貢献した。

    *2 分生子
    分生子は、多くの真菌(カビ)に見られる無性生殖のための胞子で、菌類が効率よく繁殖し、環境中へ広く散布されるための重要な構造。

    *3 遊走子のう
    卵菌が無性生殖時に形成する胞子のうの一種。

    *4抵抗性品種
    特定の病害虫や環境ストレスに対して発病や被害を受けにくい、遺伝的抵抗性を備えた作物品種のこと。

    プロフィール(掲載時現在)

    今野沙弥香

    カゴメ株式会社 グローバル・アグリ・リサーチ&ビジネスセンター 農業資源・技術開発部 先端育種グループ

    2017年 信州大学農学部 植物病理学研究室 卒業
    2017年-2022年 名古屋大学大学院生命農学研究科 植物病理学研究室
    博士号取得後1年間、同研究室で学振PD
    2023年-現在 カゴメ株式会社