本コラムが、「植物病理学」に関わる方はもちろん、これから学ぼうとしている方、かつて専攻された方、そして初めて耳にする方ともつながる機会になればと思っています。私自身の歩みが、少しでも皆さまの参考や気づきになれば幸いです。

植物病理学との出会い、そして今

現在、東京農業大学農学部農学科の植物病理学研究室で助教として教育・研究に携わっております。研究室の名称から誰もが見ても私の専門は「植物病理学」で、深く関係していることが読み取れるかと思います。しかしながら、その始まりは偶然、いや、漠然とした大学進路選択でした。

大学への進学

名前からも分かる通り、私は韓国出身です。大学進学のために受けた韓国の‘大学修学能力試験(通称スヌン)’の成績に応じて、地元の大学2校に出願。幸い、私立大学の数学科(理学)と国立大学の応用生物化学部(農学)に合格しました。当時の私は、理学の方がずっと輝いて見え、農学には全く関心がありませんでした。しかし両親に国立大学への進学を勧められ、情報収集もほとんどしないまま農学へ。ところが、その選択こそが、のちに私の人生を大きく左右するきっかけとなったのです。

入学して初めて知ったのですが、応用生物化学部には農生物学科と農化学科があり、2年次に学科を選ぶ仕組みでした。高校で化学を学んでいたため当初は農化学科に進むつもりでしたが、1年次に仮配属された農生物学科で仲間と過ごすうちに居心地がよくなり、そのまま農生物学科に進みました。1年目は遊んでばかりで成績は最悪でしたが、2年目には心を入れ替えて学び直しました。

農生物学科には昆虫と植物病理の2分野があり、私は目に見えない存在に惹かれ、ウイルスを研究することに。研究室に所属しながら、1年生のときに十分に取り組めなかった勉強を取り戻そうと考え、語学にも目を向けるようになりました。英語はもちろんですが、ほかの外国語も話せるようになれば、人との交流の幅がさらに広がると思ったからです。そこで、大学内の語学施設に通い、日本語の勉強も始めました。高校時代に第二外国語として学んだ経験があったため、比較的取り組みやすかったのも理由の一つです。まさに‘Knowledge is power(知識は力なり)’です。偶然興味を持った植物病理学と日本語が、思いがけず日本留学への道につながったのです。幸運にも韓国政府が地方大学を支援するために新しく設けた奨学制度により、1年間日本に留学するチャンスを得ました。当時、英語を学ぶ学生は多い中、他言語を学ぶことが思わぬ‘すき間戦略’となり、私の研究人生の扉を開いてくれました。

ついに東京へ。。。

学部4年次、1年間の長期留学で初めて東京農業大学とご縁ができました。そこで出会ったのが、私の恩師となる夏秋啓子先生です。植物ウイルスを学びたい一心で選んだ研究室は「熱帯作物保護学研究室」という名前で、そこではこれまで触れたことのなかった熱帯作物の病気についても学ぶことができました。これもまた下調べ不足のまま飛び込んだ留学でしたが、新しい世界に触れたことで、確かに視野は大きく広がったのです。

その後、引き続き夏秋先生のもとで大学院生として学びを深め、ウリ科植物に感染するウイルスの研究に取り組みました。新しい発見も重ねながら、研究を進める中で少しずつ自分の専門性が形づくられていきました。そうした積み重ねの先に博士論文をまとめ、学位を取得することができたのです。

日本への留学でしたが、研究テーマのおかげでインドネシアやタイ、ベトナム、ミャンマーといった東南アジアにも出かける機会に恵まれました。まさに‘百聞は一見に如かず’。学生時代にさせていただいた豊富な経験は、お金では得られない、かけがえのない財産となり、植物病理学を通じて幅広い視点から物事にアプローチする力を育んでくれました。 私の専門性を深め、視野を広げてくださった夏秋先生をはじめ、熱帯作物保護学研究室の先輩や後輩、同期の仲間、そして国際農業開発学科の関係者の皆様に、心から感謝しています。

私も博士!次は。。。?

博士になったからといって、すぐに‘バラ色の人生’が待っているとは思っていませんでした。ただ、一つの山を登ると次の山が見えてくるように、次の挑戦を考える時期がやってきたのです。悩みながら周囲に相談も重ねた結果、今度は英語圏に挑戦しようと決めました。

アメリカ植物病理学会のホームページには「Job board」があり、そこで見つけて応募したのがフロリダ大学Citrus Research and Education Center(CREC)でのポスドク(post-doctoral associate, 博士後研究員)でした。再び‘ぶっつけ本番’で始まったポスドク生活では、これまで扱ったことのなかったカンキツ類と、そこに発生するカンキツトリステザウイルス(CTV)を対象に研究しました。分類や同定とは異なり、分子生物学や細胞生物学の実験を経験でき、新しい手法を学ぶ大きなきっかけとなりました。

専門性を深めるほど学問の世界は狭まるとも言われますが、私の場合は特にこだわらなかったからこそ、幅広いテーマに携わる機会に恵まれたのだと思います。もちろんこれは一つの事例にすぎません。それぞれが自分に合った道を見つけていくことが大切だと感じています。

アメリカから再び日本へ。。。

大学3年次までずっと実家にいた私ですが、日本留学やアメリカでのポスドク経験を経て、‘仕事があればどこでも’という気持ちになりました。そんな中、再び東京農業大学とのご縁がつながり、学生時代にお世話になった世田谷キャンパスではなく、農学科所属の教員として厚木キャンパスに赴任することになりました。現在もそこで植物ウイルスの研究を続けています。

 私の場合、偶然の連続が今も植物病理学を続ける原動力になっています。研究のわくわく感が人生のわくわく感に変わり、再び研究に還元される——そんな循環の中で日々を過ごしています。科学は時に自然の摂理への挑戦でもありますが、人生は川の流れのように自然に進み、その結果として植物病理学と共に歩むことになった、そんな私の話でした。

ウイルスはどのような流れで???

新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)による感染症(COVID-19)が2019年12月末に初めて報告されて以来、私たちの生活には大きな影響が出ており、一般の方々も「ウイルス」に関心を持つようになったかもしれません。大学教員として、高校生や一般市民向けに講義を行うことも多く、「ウイルスはどこから来たのですか?」と尋ねられることがあります。一見単純な質問ですが、まだ一言で答えるのは簡単ではありません。

ウイルスは細胞を持たず、RNAやDNAとタンパク質からできた非常に小さな感染因子で、電子顕微鏡でしか観察できません。宿主となる細胞に侵入してその仕組みを使ってしか増殖できず、農作物では有効な治療法がない厄介な病原体です。

ウイルス研究の始まりは19世紀後半に遡ります。オランダで発生したタバコのモザイク病は、1886年にアドルフ・マイヤー(Adolf Mayer)が汁液で伝染することを示し、1892年にはディミトリー・イワノフスキー(Dmitry Iwanowski)が細菌を通さないフィルターを通しても感染することを明らかにしました。1898年、マルティヌス・ベイエリンク(Martinus Beijerinck)がこれを「ウイルス」と名付け、新しい感染性因子として概念が確立されました。こうしてタバコモザイクウイルス(TMV)は、ウイルス研究の出発点となったのです。

私が初めて研究対象としたウイルスは、TMVが属するTobamovirus属でした。ウリ科作物に感染するTobamovirus属ウイルスの分離・同定に取り組む中で、種内の遺伝的変異にも興味を持って調べていました。しかし、この属は塩基配列が比較的安定しており、個人的には少し物足りなさを感じていました。

そこで目を向けたのが、より遺伝的多様性*1が見られるPotyvirus属です。Potyvirus属もRNAウイルスですが、ゲノムは約1万塩基とTobamovirus属より長く、種の数も多く、新種が次々に報告されています。同じPotyvirus属のウイルス種の中でどのような遺伝的変異が起こるのか、それが宿主や地理的要因と関係しているのかを、生態的背景と合わせて調べています。

また、ウイルスの進化をより深く知るために、農作物だけでなく自然環境で育つ雑草や野生植物に感染するウイルスにも関心を持っています。野生の植物でどのようにウイルスが広がり変化しているのかを知ることは、自然界の仕組みを理解する手がかりにもなりますし、意外な発見や驚きが日々の研究の中で見つかる面白さもあります。

農作物の栽培環境でウイルス病が広がるのは時間の問題で、予防が何より大切です。ウイルスに感染した雑草は周囲の作物への感染源にもなり得ることから注意が必要です。では、栽培圃場と自然界の中で、ウイルスはどのように変化していくのでしょうか。
A. 2022年8月ベトナムのキャッサバ圃場で蔓延しているモザイク病
B. 日本の地面で気軽に見つけられるオオバコとクローバー

ウイルスがどのように変化してきたのかを知ることは、起源を探る鍵となるだけでなく、今後どのように変化していくかを予測する基礎にもなると考え、研究を進めています。

さらに、ウイルスの遺伝的変異を調べることは、現在主流となっているPCR法*2LAMP法*3のような核酸を使った検出法にも欠かせない情報です。残念ながら、植物ウイルス病に有効な薬剤はまだ存在しません。そのため、早期に正確な診断をすることが、病気の拡大を防ぐ最も効果的な手段となります。ウイルスは頻繁に変化するため、正確な診断を行うためには、ウイルスの遺伝情報を継続的に調査する必要があります。こうした研究は、国内の農作物をウイルスから守るだけでなく、国際取引によるウイルスの流入・流出を防ぐための戦略策定にもつながります。

私が所属する研究室の合言葉である‘Plant Rescue’に貢献できる研究を行い、東京農業大学の建学の精神である‘実学主義’にも寄与できるよう、これからも「植物病理学」を通じたアプローチを続けていきたいと思っています。皆さんも、身近な植物や自然の世界をちょっと覗いてみると、新しい発見や驚きがきっと見つかるはずです。

用語説明:

*1 遺伝的多様性:同じ種に属する個体同士の間における、DNA配列や遺伝子の多様性のこと。この多様性が高いほど、環境変化に対する適応能力が高まり、長期的な生存と進化の可能性が高まる。

*2 PCR(Polymerase Chain Reaction:ポリメラーゼ連鎖反応)法:温度を3段階で繰り返して、目的のDNA領域だけを指数関数的に増やす方法。ウイルスに罹患した植物組織から、ウイルスの核酸を特異的に増幅して検出・同定することができる。症状が現れる前の早期診断や微量なウイルスの高感度検出が可能で、種苗検査や圃場での感染調査に広く利用される。

*3 LAMP (Loop-Mediated Isothermal Amplification:ループ介在等温増幅)法:一定温度で4~6種類のプライマーを用いてDNAを迅速に増幅する技術で、植物ウイルス診断に応用されている。PCR法と比べて特殊な機器が不要で、現場での簡易診断が可能であり、増幅産物の濁度や蛍光で肉眼判定することができる。    

プロフィール(掲載時現在)

キム オッキョン

東京農業大学 農学部 農学科 植物病理学研究室 助教
令和7年9月から1年間フロリダ大学Southwest Florida Research and Education Center (SWFREC)
に依命留学中
平成19年より日本植物病理学会会員
会計幹事、編集幹事、ダイバーシティ推進委員、植物ウイルス分類委員を歴任

東京農業大学の研究室HP https://www.nodai.ac.jp/academics/agri/agri/lab2018/104/