日本植物病理学会ニュース 第2号 (1995年08月)

平成6年12月〜平成7年5月の学会活動状況
1.大会開催報告
(1) 平成7年度日本植物病理学会大会を終わって
  平成7年度日本植物病理学会大会は本学会の創立80周年記念事業の一環として, 平成7年3月30日から4月2日まで東京大学および東京農業大学で開催された. 80周年記念大会は記念式典, 祝賀会, シンポジウムおよび一般講演会の3部門から構成され, 記念式典と祝賀会, シンポジウムは東京大学と東京農工大学, 講演会は東京農業大学に事務局を各々設置し, 担当した. 一般に複数の事務局があると運営に混乱を来たすことが多いと言われているが, 今回は各事務局ならびに関係各位のご努力で問題もなく, スムーズに運営された. 改めて関係各位のご尽力に感謝申し上げる次第である.
 今大会の特色は参加者が史上最高であったことである. 特に, 若い会員の参加が多く, それに伴い講演数も339題となり, 連日4会場で9時から18時近くまで熱心な講演と討論が続き, 今後の病理学会の隆盛を象徴するようであった. 講演の内容も多数の会員の興味を引くものが多く, 事務局では充分収容出来るとみていた大教室が満員, 立ち見席ならまだしも, 会場から溢れるという異常事態を招き, 情報と知識を得ようと参加された会員の皆様にご迷惑をかけてしまった. 総会の会場は最初から参加予定者を収容できないことが判っていたので, 別室にモニターを用意して視聴出来るようにしておいたが, 講演会場もモニターするか, 会場を5会場に増やす必要性を痛感した. 会期中には熱心な発表・討論に水を差すようなアクシデント (停電) が起こった. これは本校全体の電気使用量が年々増加するため, 教室の電気容量を減少してきた結果である. そのため, 長時間のスライド映写に耐えきれず停電したものである. 当該講演者には迷惑なことだったが, これも会員の熱意の発露の結果とお考えいただき, お許し願えれば幸甚である.
 何はともあれ, 大過なく無事大会を終了することができた. 特に前大会から引継いだ予約と当日の参加費を区別すること, 進行等の会場係の方にも参加費を納入願い, ご協力いただくことにも混乱がなく徹底した. そして, ほとんどの会員が予約申し込みされたので予算をたてる上で随分気が楽になった. これも会員各位のご協力の賜物と事務局員一同感謝している.
 記念大会を終え, 事務局員一同ほっとして気の抜けた風船のようになっている. 次回の大会以降はゆっくりと講演を拝聴し, エネルギー充填に努めたいと思っているのでよろしくお願いする次第である. (陶山一雄)

(2) 日本植物病理学会創立80周年記念式・シンポジウム・祝賀会・始末記
  日本植物病理学会創立80周年記念事業については, 平成5年4月2日の評議員会で加藤委員長, 日野事務局長ほか8名からなる記念事業実行委員会が設立され, 平成5年5月15日の第1回委員会で, 事典の発行, 記念式・シンポジウム・祝賀会の開催, 通常大会との連動, 予算と募金活動などに関する事業計画の大綱が決定された.
 これを受けて, 事典に関しては岸委員長, 日野副委員長, 稲葉幹事長をはじめとする事典編集委員会が, 記念式・シンポジウム・祝賀会に関しては日野委員長ほか6名の準備委員会が, 通常大会に関しては都丸委員長, 丹田副委員長をはじめとする大会運営委員会が, また, 協賛企業・団体に対する募金活動に関しては加藤会長, 浅賀副会長, 梶原委員および学会幹事会が, それぞれ実務を分担することとなり, 具体的な作業が進められた.
 準備委員会では, 平成5年8月28日以降合計4回の会合を重ねるとともに, 評議員へのアンケート調査を行うなどによって, 記念式・シンポジウム・祝賀会の具体的な計画を作成し, 記念式・祝賀会関係を主として東京大学が, シンポジウム関係を主として東京農工大学が, それぞれ分担して準備作業を進めた.
 平成7年3月30日の式典当日は, 両大学に加え明治大学や学会幹事にも応援をお願いして運営に当たったが, 会場の東京大学安田講堂は広くて格調は高いものの, 近代的設備に乏しく, 開会式直前にマイクの電源が飛んだり, 暖房にむらがあったりの予期せぬハプニングがあった. また, 天窓からの光でスライドの写りが悪いことから, 最強の光源を搭載したプロジェクターを2台用意したが, 幸い雨天のため映写には支障がなかった. さらに, 当日になってプログラムや協賛企業リストに各1か所の重大なミスプリが見つかるなどしたが, それ以外はさしたるトラブルもなく, 61巻3号の本会記事にもあるように, 多数の会員のご参加と講師の方々の熱意あふれるご講演を得て, 東大オケによるヘンデルの「王宮の花火の音楽序曲」の奏楽に始まった午前の記念式・特別講演と, 午後のシンポジウムが盛会裡に終了し, 引き続く東京大学中央食堂における夜の祝賀会もなごやかにかつ賑やかに盛り上がり, 無事閉会に至った.
 記念式・シンポジウムの参加者は628名, 祝賀会の参加者は522名であった. 会計的にはなるべく質素にという方針で実施したが, 学会特別事業特別会計からの補助金, 協賛企業・団体からの寄付金, 名誉・永年会員からのご寄付等をいただいたため, 比較的余裕があった.
 最後に, 準備委員会として, 当日, 色々と不行き届きの点があったことをお詫びするとともに, 本イベントの準備から終了に至るまでの間, 多大なご協力・ご尽力をいただいた協賛企業・団体, 本会役員・委員・幹事ならびに会員の各位に厚く御礼申し上げたい.
 会員の皆様, 次の100周年記念式の日にも, また元気に集まってお祝いしましょう. (日比忠明)

(3) 功労賞受賞者のお話
 1)終戦直後から学会が自立運営を始めた頃の事
山中 達
 昭和21〜35年迄の春の大会は, 26年に京都の西京大学農学部で開かれた以外はすべて東京大学農学部と西ケ原の農事試験場 (農業技術研究所) で開催された. その中で特に印象深いのは終戦直後の大会である. 当時は交通事情が悪く, 地方の会員の方は夜行で上京される方が多く, 従って朝早くから会場に見えられた. 服装はカーキー色の国民服で, 弁当持参である. 研究発表は墨書きしたチャート紙で行われ, チャート係が大奮闘したことが懐かしく思い出される.
 一方, 戦争で中断されていた会報の発行も漸く昭和24年に5年振りに第13号が発行された. 当時, 東大の明日山先生が学会の幹事で会報の校正をしておられた. 研究室にいた与良, 葛西, 小室, 私の4人は見るに忍びず校正のお手伝いを買って出たのである. 所で何も彼も不足している時代, 原稿が集まり, 校正が始まっても終校までに日時がかかり, なかなか会報が出来ない. 遅れる会報に業を煮やした私達は, 2校が終わった時点で, 出張校正をすることにした. 後楽園の野球場の下にある「帝国印刷所」に行って3校から校正終了まで半日かけて一気にやるのである. これで会報の発行が早くなったかどうかは明らかではないが, やれることはすべてやったと思っている. また, 頁の余白に外国の文献の抄録を載せることにしたが, これは当時かなり評判が良かったのは嬉しいことであった.
 昭和27年, 上野の科学博物館で春の大会が行われた. 総会で会計幹事の向先生の「残金1銭也」という会計報告の意味はよく判らなかった. 私の隣にいたKさんが「あれは赤字だという意味なんですよ. 」と耳打ちしてくれた. 間もなく奉加帳が回って来た. なるほどと思った. 学会の事務のすべてを養賢堂に委託している現状では, 学会の会計は火の車であったのである. その夜の懇親会の席上, 仲の良かったY先生が私に言った. 「学会は冷たいんですよね. 私が外国に行っている間, 会費の納入が遅れたら, さっさと除名されましたよ. 」と. その時, 私は学会の事務は会員自身がやらなければならないことを痛感したものだった.
 昭和30年代になって, 学会も会員数が増加すると同時に, 外国との交流も頻繁になってきて, 学会の自立運営が迫られた. 当時, 若手の岩田さん, 与良さん達と今後の学会の運営についていろいろと話し合った. 評議員会から自立運営の承認を頂き, 昭和33年いよいよ養賢堂と交渉することになった. しかし, 学会報の発行は養賢堂にとって商売上大切な事業の一つであり, また学会運営の困難な時期を乗り切って漸く順調に行く目鼻がつく時になって, それをとりあげられたのでは, 今まで何のために苦労したのかと, 怒るであろうことは目に見えている. 何と言ったら良いのか, 向先生や岩田さん, 与良さんとも話し合うが妙案は浮かばない. 田杉会長に伺うと「何とかなるよ. 」と素気ない. 当日, 田杉会長, 向先生, 明日山先生, 岩田さん, 与良さん, 私と6人で養賢堂に伺う. こんなに大勢で伺うとは予期していなかった養賢堂の及川社主はビックリされたようだった. 田杉会長は開ロー番, 「及川さん, 喜んで下さい. 学会は養賢堂さんのお陰で漸く一本立ちが出来るようになったんですよ. ありがとうございました. 」と及川社主の両手を握りながら言ったのである. こう言われたのでは, 及川杜主も異論をはさむ訳には行かない. 「それはよろしゅうございました. おめでとうございます」. これで万事終了. 私は思わず岩田さんと顔を見合わせた. 翌昭和34年3月の総会で及川伍三治氏に感謝状が贈呈された. 同時に差し上げた記念晶は銀座の名のある漆器やさんから求めた立派な花瓶であった.
 西ケ原の農業技術研究所の病理科の一角に置かれた机で, いよいよわが学会の自主運営が始まったのである. 自立した以上, 先ず財政の基盤を確立する必要があった. 当時の役員の方々が手分けして, 農薬工業会に属する各会社に伺い, 賛助会員になって頂いた. 当時, 農技研におられた向先生や岩田さん, 東大の明日山先生は大変なご苦労をされた.
 自立当初, 庶務を担当した農技研で学会報の発送をしていた. 幹事長を仰せ付かった私は発送を手伝ってくれる会員の方々に何かしてやりたいと思い, 出入りの理科学機械屋に話をして, 広告を取り, 学会報に挟み込み, その広告代で寿司を御馳走した. これは大好評で, 会報の発送は極めてスムーズにいった. 広告に対する反応も大きく, 広告主からも喜ばれた. 特別料金で送れる学会報に広告を挟み込むことが違法であることは後で知った.
 終戦後から10数年, 東京にいたことから学会の雑用を引受け, 苦労することも多かったが, 今はただ懐かしく思い出されるだけである.

2)学会運営の思い出
飯田 格
 学会運営にかかわるようになったのは1966年 (昭和41) , 東北農試から当時の農技研に転じてからである. 当時学会の事務所が農技研病理科に置かれていたので, 病理科に勤務する会員は幹事役を引受けることが慣例となっていた. 幹事役のほかに, 学会誌の発送も病理科全員で担当していた. 私は, 山田昌雄さんから庶務幹事を引継ぎ, 会計幹事の荒木隆男さんと2人で水上武幸さん (病理科長) , 岩田吉人さん (病昆部長) のご指導を受けながら運営に当たった. 私達が任期満了時に一つの困った事が生じた. それは, 農研病理科の会員はすべて幹事役を経験してしまったので, 引受ける者が無くなってしまったことである. そこで, やむなく, 荒木さんと2人でウイルス研に幹事役をお願いすることになったが, 埒があかず, 水上さんを煩わし, ウイルス研で担当して頂くことに決まった. 以後, 各研究所, 大学持ち回りになって現在に至っている. 一方私は, 農学会の運営委員を富永時任さんから引継いだ. 当時, 農学会では水上さんが主任役となって世界の米のシンポジウムが開催されていた. その資金集めのため, 農学会事務担当の戸倉ハルさんといくつかの会社を訪ね歩いたことも思い出の一つである. 千葉大へ転出後, 会計幹事を引受けていたが, 役職に就いたので, 山口富夫さんにお願いすることとした. その後は, 会計監査, 選挙管理委員, 農学会評議員等を担当させて頂いた. 学会長に選出された時は, 日本学術会議会員であった関係で, 第5回国際植物病理学会議の日本への誘致, 誘致後の会議運営に微力ながらお手伝いさせて頂いたことも良き思い出となっている. とにかく, 今日まで多くの方々にお世話になり, 感謝している次第である.

3)功労賞を受賞して
梶原 敏宏
 日本植物病理学会創立80周年を記念して, 功労賞を頂き身に余る光栄と存じ恐縮しております. ただ長い間学会の運営の一端に携わっただけで, 大して役に立たなかったのではないかと考えると, 伍促たる思いです.
 顧みますと, 昭和27年農林省に採用され農業技術研究所病理科 (西ケ原) に配属されて間もなく, 学会に大きな変革がありました. 学会の一層の発展を期して, それまで養賢堂に委託していた学会の業務総てを学会独自で行うことになったことです. その結果, 当時多くの学会員を擁していた農技研病理科が, 庶務・会計を引受けることになったのは当然の成り行きだったと思われます. これが否応無しに学会と深い関係をもつ契機になりました. いろいろ批判もあったと思いますが, 学会の業務が, 病理科の主要な業務の一つとして位置付けられていたこともあり, 庶務その他の事務に全力投球ができたように思われます.
 このような中で, 病名目録の編集・印刷を担当したことも思い出の一つです. 当初は第1巻だけ担当すればよいと理解していたのですが, 結局3巻 (果樹・林木) まで, 初版全部に関係することになってしまいました. 今振り返って見ると, 第1巻では校正のミスも多く, 冷汗の出る思いです. 第2版以降はそれぞれ関係された方々のご努力によって立派なものに改訂されているのは, 喜ばしい限りです.
 今一つの思い出は, やはり京都での第5回国際植物病理学会議の開催でしょう. これも多くの方々のご尽力により大役を果たすことができましたが, 詳細は54巻特別号に記してあります.
 植物病理学の発展に貢献した学会の役割は, 誠に大きいと思います. これからも学会を中心に植物病理の研究がますます発展し, 食糧の安定供給に貢献することを願って, お礼の言葉といたします.

2. 植物病理学事典の発行
 日本植物病理学会創立80周年を記念し, 最近の研究成果が一目でわかる植物病理学事典の出版が計画された. 平成4年12月, 岸國平先生を委員長, 日野稔彦先生を副委員長とし, 42名から成る編集委員会が発足. その内, 7名が編集幹事を併任. 編集委員会, 幹事会を数回開き, 項目, ぺ一ジ数, 222名の執筆者を決め, 出版を養賢堂に依頼. 平成5年6月, 執筆依頼したところ, 7月に一番の原稿が届いた. ここまでは, 誇れるほどのスピードで進んだ. 80周年記念式典当日, 受付に10冊ぐらい並べることを夢み, 楽しみにしていた. その後, 厄介なことになった. 、原稿締切が平成5年12月20日であり, 平成6年1月中には全原稿が集まると予想していたが, 4月に入っても40名の原稿が未着. 電話で催促すること60回. 最後の原稿は5月に到着. 4月から, 幹事が校閲に入り, 6月に終了. 再び, 夢を見ながら, 初校はいつかと待った. 1O月に養賢堂から連絡があり, 「出版界は大変な時代に遭遇している. ご迷惑をかけました. これから全力を上げます. 」とのこと. 住む世界が違うと, こんなことなのか, 国連並の難事に出会うことになった. 現実は厳しく, 平成7年3月30日の記念式典当日, 並んだのは, 表紙を付けた見本とゲラ刷りの仮綴じであった.
 刊行が多少遅れたが, 悲しいことばかりではない. 事典の内容は最近の研究成果に基づくもので, 実に素晴らしい. 植物病理学の急速な進歩を感じる. この事典を英語に翻訳したら, 世界の植物病理学者が驚くだろう. 次は, 多くの人に愛用されることを夢見ている. (稲葉忠興)

3. 研究会開催報告
 殺菌剤耐性菌研究会:
  殺菌剤耐性菌研究会の第5回シンポジウムが4月3日, 東京農業大学グリーンアカデミーホールで開催され, 111名が参加, 以下の講演の後, 活発な質疑応答がなされた.
・ステロール脱メチル化阻害剤 (DMI剤) 耐性
(1) History of DMI Resistance in Cereal Pathogens and Countermeasures (英国ロングアシュトン試験場 D.W. Hollomon)
(2) 果樹病原菌のDMI剤耐性 (果樹試 石井英夫)
(3) イチゴうどんこ病菌のDMI剤感受性検定法 (奈良農試 岡山健夫)
・Development of DNA-Based Diagnostic Techniques for Benzimidazole Resistance (英国ロングアシュトン試験場 S.J. Kendall)
・灰色かび病菌における薬剤耐性の現状と課題 (全農農技センター 山田正和)
・キウイフルーツかいよう病菌のストレプトマイシン耐性 (東大農 中島雅巳)
 なお, 講演要旨集に残部がありますので, ご希望の方は研究会事務局 (果樹試病害1研 石井英夫 TEL.0298-38-6544)までご連絡下さい. (石井英夫)

学会関連各委員からの報告
1. 日本学術会議微生物学研究連絡委員会報告
(1) 第16期の活動方針として以下の項目を重点的に取り上げることとした.
1) 病原微生物および遺伝子組換え体など特殊微生物取り扱いの安全確保, 特に
@震災への備え, A安全教育について, B吹田市条例 (組換え実験規制) への対応
2) 植物病原菌の取り扱いについて現実に対応できる方策を関係機関に要望する.
 とくに, 病原性微生物の国際移動について.
3) 第15期からの継続審議事項である文部省科学研究費の分科細目とくに微生物学領域の新細目並びに審査委員候補者の推薦依頼先の見直し.
平成8年度科研費時限付き分科細目として, 第6部 (農学) は「土地利用科学」を文部省に要望している. 微研連としては, 従来から提案されている「微生物科学」の是非を検討することとした.
現在時限付き細目となっている「分子細胞生物学」の平成8年度第一段審査委員を微研連から推薦することとなった.
(2) その他の関連事項
1) 平成9年度に開催予定の国際会議に代表派遣を申請する場合は, 平成8年3月上旬までに微研連委員を通じて申請する.
2) 各学会で用語集などの出版をする場合は出版費援助を文部省に申請することができる. (久能 均)

2. 日本農学会報告
平成7年度日本農学大会が, 平成7年4月7日東京大学山上会館で行われた. 本年度の日本農学賞受賞者は次の7氏である.
(1) Bacillus thuringiensis (BT) における殺虫性タンパク質遺伝子の構造ならびに機能解析
日本蚕糸学会:北海道大学農学部教授 飯塚敏彦
(2) 農業革命の研究
日本農業経済学会:京都大学名誉教授 飯沼二郎
(3) 鶏病の病理学的研究−特に鶏体の組織反応の特徴とその病理学的診断への応用−
日本獣医学会:北海道大学獣医学部長 板倉智敏
(4) 家畜精子の受精能獲得と顕微授精による体外受精に関する研究
日本畜産学会:近畿大学生物理工学部教授 入谷 明
(5) 殺虫剤抵抗性の機構とその遺伝に関する研究
日本農薬学会:筑波大学農林学系教授 正野俊夫
(6) 海面干拓農地の高度利用技術の開発と農地管理に関する一連の研究
農業土木・農業機械・日本農業気象・農業施設・日本生物環境調節学会:岡山大学農学部教授 長堀金造
(7) 海洋生態環境造成に関する研究
日本水産工学会:福井県立大学教授 中村充

また, 同日午後「わが国の食糧と日本農学−イネを中心として−」というテーマでシンポジウムが開催された. 演題および演者は下記のとおりである.
(1) 変動の大きい気象と農業技術
日本農業気象学会:岡田益己
(2) 間断取水による圃場の水管理
農業土木学会:梅田安治
(3) 水稲冷害を防ぐ栽培技術と作物学
日本作物学会:西山岩男
(4) イネの耐冷性遺伝資源と育種の展望
日本育種学会:佐々木武彦
(5) コメの食品学
日本農芸化学会:荒井綜一 (八重樫博志)

今後の学会活動および関連学会開催予定

国際植物病理学会および植物病理学会関連国際会議の報告と案内

会員の動静

各種出版物案内
会員の出版物
上杉康彦:作物の病気を防ぐくすりの話, 日本植物防疫協会, pp.121.1995, \1,300.
Oku, H. : Plant pathogenesis and disease control, Lewis publishers, pp. 208, 1995, \14,280.
アメリカ植物病理学会編 (谷利一監修/田中明美訳) :芝草病害概説改訂第2版, ソフトサイエンス杜, pp.130, 1995, \9,500.
坂神泰輔・工藤 晟:ひと目でわかる果樹の病害虫シリーズ第3巻 リンゴ・マルメロ・カリン・モモ・スモモ・アンズ・プルーン・ウメ・オウトウ・ハスカップ, 日本植物防疫協会, pp. 262, 1995, \6,000

会員の意見
(1)  一会員として, ニュースの発行をお祝い申し上げます. これまでの学会記事と比較して格段に読む気を引き起こしたことは喜ばしい. 会員の一人ひとりと学会を運営している「ひと」とのつながりができ, これまで, 学会活動に文句があっても, その元気もでなかった状況から, 文句を言える窓口ができたことは意義があろう. ところで, 希望を述べさせてもらえば, 大学, 国, 県 (防除所を含む) , 民間ならびに財団等の人たちが植物の病気を巡って, いまどのような問題を抱え, これにどう対応しているかなどそれぞれの場からの意見・主張が載せられるとありがたい. また, 会員の公平な扱いと, 各部会で開催されるシンポジウム・研究会の概況, 国内外の関連学会・ワークショップの開催等の記事がさらに充実されることを期待したい. 最後にニュース発行に関係する各位, とくにボランティアで努力されている方々に感謝申し上げます. 「ニュース」が長く続くことを期待して. (鈴井孝仁)

(2)  平成7年度大会をもって, 柏崎氏と私は2年間の学会幹事の任期を無事終了しました. 役割を十分果たせたかどうかわかりませんが, 肩の荷が降りたように感じています. 学会の運営についてはこれまで全く無頓着だった私ですが, 学会事務局の膨大な事務処理を始め, 年に2回の評議員会と7〜8回におよぶ幹事会, それに先立つ会長, 副会長および庶務幹事長の準備作業, 各専門委員の活動など, 学会は多くの方々のご協力があって初めて運営されることを痛感しました. 今大会は学会創立80周年とのことですので, 創立は大正期であり, 大変古い伝統を持った学会です. このような学会の存在はこれまで水や空気のようにしか思っていなかった私ですが, 研究成果を発表し他の研究者と情報交換を行う場所があるということは, 大変恵まれていると感じるようになりました. 学会幹事をお手伝いする機会を与えていただき, 大変ありがとうございました. (門田育生)


学会事務局コーナー

情報提供および投稿のお願い
 学会ニュースでは会員の動静, 著作, 植物病理学関連の会合やシンポジウム等に関する情報を広く学会員に提供したいと考えていますので, 情報をご提供下さい. また, 学会に関するご意見 (400字以内) や海外留学の印象等 (800字以内) もご投稿下さい.
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TEL. 03-3943-6021

編集後記